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「最近の注目演奏家について想うこと」

◎ピアニスト:ユリアンナ・アヴデーエワ

 2010年にショパン・コックールでアルゲリッヒ以来45年ぶりに女性として優勝して話題を放ったが、その後も着実に活躍し、最近2019年に演奏したムソルグスキー「展覧会の絵」を聴いて、その一部の隙もなく高い完成度で深められた表現の素晴らしさに惹き付けられた。そして改めてその背景に、ロシアのピアニズムが揺るがない伝統を築き上げていることを思い知らされた。いまさらリヒテルやアシュケナージなどを引き合いに出すまでもなく、ロシアものに限らずショパンを含めたピアノ曲の卓越した演奏は中央ヨーロッパを凌駕し、大いなる影響を与えるまでに至っていると言える。実際既に、欧州音楽教育界におけるロシア系の教師陣の存在は大きいと言わざるを得ないだろう。

◎ピアニスト:アリス=娑良・オット

 ドイツと日本のハーフでドイツに生まれ育ちそして学び、数々のコンクールで入賞し世界的に活躍してすでに日本でも多くのファンがいる。テレビで2019年日本でのリサイタルの収録をたまたま聴き、その演奏に惹き込まれてしまった。その収録はアンコールピースを並べたようなドビュッシーの“夢”、サティの“ジムノペティ”、ラベルの“パヴァーヌ”など聴きなれた曲目への独自性ある新鮮な表現に、すっかり魅了されてしまったのだ。ドイツの確実な明快さ、日本人の抑制された端正な奥深さが、全く違和感のなく自然につながっている。それは背景からの先入観と思われるかもしれないが、あの芯の力強さや裸足で演奏する開放的な自由さは西洋のものだろうが、時間と空間を抑制するような静寂感と端正なタッチは我々に日本に通じるものと思える。2020年に入り、多発性硬化症の病と闘っていると自ら公表している。その後何とか難病に打ち勝って、少しずつ復帰しているようだ。ネット上で最近のムソルグスキー「展覧会の絵」の演奏を視聴したが、端正な確実さは健在であった。上記のアヴデーエワと比べると、それははやり日本的な一元的世界にも受け止められなくもないだろう。

◎ピアニスト:カティア・ブニアティシヴィリ

 日本でもショパンを演奏して話題となったようだが、まだ生の演奏は聴いていない。しかしすでにかなりの情報が発信されている状況は社会や音楽界にインパクトを与えている証だろうし、その画像や音源情報に触れると確かにその奔放な表現にたちまち惹き付けられる。独自なスタイルを発揮し、ファッションや社会的な行動のすべてをパフォーマンスとして、現世的な表現を追求しているように思う。しかもそれが烈しく深い想いとして演奏に放たれ、惹き込まれてしまうそのパワーは並のものではない。コンチェルトでも突進するピアノに指揮者のオーケストラへのコントロールも至難の技となるし、ピアノ独奏に移る時には常に予想が裏切られるような独自性が発揮される。独奏曲も含めこうした聴き慣れた曲に、次に何が起こるかと期待感を抱かせるだけの新鮮さを感じさせる存在感が頼もしい。ここでも同様に「展覧会の絵」の演奏をネット上で視聴したが、独自な表現とも言えても少々奔放過ぎる面は否めない気がする。

室内楽:内田光子とマーク・スタインバーグ

 内田光子のピアニストとしてのキャリアは、モーツァルトを抜きにしては語れないだろう。自ら指揮も行った協奏曲集は話題となっていたが、2010年にリリースされたヴァイオリン・ソナタを聴いて、改めてそのキャリアの実質に感じ入った。特に唯一の短調で名曲として名高いK.304の二つの楽章の細部に渡って極めて考え抜かれた彫りの深さは、抜きん出ている。母の死という背景との関わりは良く語られるが、それが誰にでも伝わって来るような第二楽章の主題旋律はともすると短絡的な感傷に陥りがちとなるが、第一楽章からもちろんそうしたことを超えた普遍的な哀しみが、主題再現毎の変化への意図も明確にしてしかも繊細に表現されていく。その深い呼吸のテンポと弱奏の音色はもとより、共演のスタオンバーグのソリストというより室内楽奏者としての特質が、モーツァルトの「ヴァイオリンの伴奏付きクラヴィアソナタ」という側面に誠に相応しい的確なバランスで、内田のピアノとその表現に寄り添い、古楽器につながるような高次倍音の繊細なその響きと共に申し分ない。著名なヴァイオリニストではなく、特にスタインバーグと共に室内楽を演奏することの達見には、なるほどとうなずけ納得させられる。こうしたピアニストの存在は音楽に関わる多くの日本人が学び取るべきで、筆者としても同国人として大変誇らしく思う。 

11歳のヴァイオリニスト吉村妃鞠

 数年前からヨーロッパでの数々のコンクール等で優勝し、天才ぶりを発揮してネット上でも話題として騒がせていることは申し上げる迄もないでしょう。誰をも納得させられる一部の隙もない表現力は、聴く者を惹き込むまずにはおかないでしょう。ある審査員は審査や聴取ということを超え、ただただその音楽の世界に惹き込まれたという感想を述べていたことがすべてを物語り印象的でした。僅か11歳でそこまでということを誰でも考えてしまいますが、むしろ11歳だからという面があるのではないでしょうか。インタヴューなどでの受け答えは、普通の少女の様子で歳相応の幼さを示しています。しかし一端ヴァイオリンを弾き出すと、途端にすべてを注ぎ込む集中力で圧倒的力を発揮するのです。11歳という年齢は、今後の成長過程で経験で得ていくであろう雑念がほとんど無く、いわば澄み切った清水のような純粋さで能力のすべてを正に一筋に集中させる姿を見る想いです。もちろん並外れた才能は間違いないでしょうが、それを余す所無く発揮できてこそ意味を成します。それができていることは、脅威として誰をも納得させる力となります。それは音楽の演奏表現ということが成す力というものを、何より示しています。今後どうなるか、音楽における神童の例には事欠きませんが、そのさらなる成長の過程こそ期待と共に注目すべきでしょう

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